今回の記事は、サイト「トレーダー分岐点」の管理人コングラッチェさんから寄稿していただきました!
映画に造詣の深いコングラッチェさんに「映画ネタで何か!」とアバウトな寄稿をお願いしたところ、私も大好きな映画『イル・ポスティーノ』について書いていただけることになり、実は私が一番喜んでいます!
※以下、コングラッチェさんの文章です。
映画『イル・ポスティーノ』
『陽気である。そして女性に軽い』
「イタリア人」と聞いたときに大半の人が思い浮かべるイメージが、これではないだろうか。
しかし一度でもイタリアの詩や映画に触れたなら、その中に現れているまぎれもない陰鬱さやグロテスクさに驚くだろう。
あらすじ
映画『イル・ポスティーノ』に出てくる登場人物たちも、日本人が漠然と思っている「イタリア人」とは違う。皆一様に口数が少なく、ジョークを言うこともない。
漁村に生まれながら漁師という仕事に嫌気がさしている物語の主人公・青年マリオも、その一人だ。彼は陰鬱な顔で、一人映画館に通う日々を過ごす。
そんな停滞している島にある日、チリから一人の詩人がやってくる。 名前はパブロ・ネルーダ。
「人民のための詩人」という公式的な硬い説明とは異なり、ニュース映画で見る詩人は陽気に笑い女性達を虜にしている。そのことにマリオは羨望を覚える。
鬱々としながら街を歩く日々が続く中、ある時彼は郵便局で配達人募集の張り紙を発見する。今の仕事よりは、という思いで申込み採用されるマリオ、その仕事内容はあのパブロ・ネルーダへの郵便配達であった…。
『イル・ポスティーノ』ではイタリアの架空の島が舞台だが、実在の詩人パブロ・ネルーダがナポリのカプリ島に滞在したという史実をもとにして作られている。
名声目当てから、詩を巻き込んでの友情へ
この映画の面白さは、何と言っても詩を介して育まれる青年マリオとネルーダの友情だ。
最初は詩人の名声を目的としていた青年が、徐々に詩を読み、理解し、感じるようになり、素朴な疑問をネルーダにぶつけていく。
寡黙な世界の中で自らの言葉を徐々に発していく過程には、情景の穏やかさとは裏腹に観ている側は激しく心を揺さぶられる。
人間であることにうんざりしているところだ
仕立て屋に 映画館に入ろうとしているところだ
しょんぼりして 得体の知れないようすで 源流の
灰色の水の中を泳いでいるフェルト製の白鳥のように
マリオに起こること、起こったこと
停滞した世界の中でマリオは、この詩を読んで心を奪われる。
そしてこの詩がまさに自分に起こったこと、でもそのことをどう言葉にすれば良いのか分からなかったことを、ためらいながらネルーダに言う。
続けてマリオは詩の隠喩について質問をするが、詩人は穏やかにこう返した。
「君が読んだ詩を別の言葉では表現できない」と。
ここに詩を読むことの本質がある。
『神曲』においてダンテを助けるヴェルギリウスのように、一人一人が詩を読むことを手助け導くことはできるかもしれない。 しかしあくまで、その詩の感動を味わうのは個人のみであり、引き起こされた情動の意味を説明することは作者である詩人にもできない。
詩の美しさを味わううちに、マリオにとって自明だと思われていた世界が徐々に美を獲得していく。 窓辺で詩を読み、顔を上げて風景を眺め初めて故郷の海を発見したかのような表情を見せるマリオは誰よりも喋り始め、意思を持ち始める。
だからこそ彼は恋に落ち、多くの詩人のように恋人への詩を作り始める。
変容した世界での苦悩
この映画のもう一つの素晴らしさは、その恋愛のあとに起こるネルーダとの別れを物語のラストに置いていないことだ。
それはすなわち、もとの何物でもない青年マリオに戻ることをちゃんと描いていることでもある。
ただ一つ違うのは、マリオは既に詩を「知ってしまった」ということだ。詩を通じて 世界を発見するということは、元の世界から離れることでもあり、世界の辛さを見てしまうことでもある。元の世界には決して戻れない。
しかしマリオの苦悩は誰にも理解されない、それは世界を見る詩人だけの苦悩だ。
そして彼はネルーダとの思い出をたどるうち、ひとつの詩を作る決意をする。
それがどんな詩なのかは是非映画で見てほしい。 ただ一つ言えるのは、彼にしか作れなかった、そんな素晴らしい詩が物語のラストには待っているということだ。
言葉を覚えることの不幸、それによって得る幸福。 私はこの映画を見ている最中、常に田村隆一の詩『帰途』が頭のなかに反響していた。
「帰途」
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
*詩人パブロ・ネルーダは1973年に死去。その死が病死なのか毒殺なのかは現在も議論が続いている
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