思いついたけど記事にするには浅いかもしれない、ただ記憶を記録する。
エモーショナルライティングが少し前から流行ってるね。まだ過去形ではないよね? 私は著者さんのセミナーを受けたのでけっこう印象に残っていて、また本を読み返しつつあるんだけど。
このエモーショナルライティングについて、「それを具体的にどうするか」について自分なりに掴んでない人が多い、て北九州出身の某Sさんが言ってた。
(エア言及すみません)
そのツイートを読んで以来、私はどうだろう?と考えている。
うーん。
「具体的にどうするか」が「自分なりに掴むもの」である点にとても同意。最適解は人によって違うだろう。キャラによるし、読者を持っていきたい方向による。
だからこそ、「具体的に」なんて誰も教えてくれない。教えられない。
自分はエモいのか問題
他にも「エモい」について書いている人がいて、色々と思った。あとドラマ見た時にも思った話。
先週のドラマ「タラレバ娘」で、主人公が書いた脚本の最初に「私は東京で透明人間になった」みたいなモノローグがあった。
都会の寂しさ、というやつなのかもしれない(街の片隅肩がぶつかって一人ぼっち的な)けど、「何をしたいのか分からない、結果人から個として認識されない、そのうえ自分でも自分が分からない」みたいに続いていた、と思う。違ったらごめん。そう聞こえた。
これは、共感を呼ぶことなんだろうか?
私はそれを聞いて、「私はいつも私を消せなくて苦労するのにな」と不思議に思った。
私は全然自分が分からなくならないんです。透けてしまわずいつも邪魔なほど主張強く立ってるんです。
自信過剰なだけか。
そこからエモーショナルについて連想した。
基本的に、私は「私はエモい」と思って生きてる。頭は良くないけど無駄にエモいよ。
だって何をも殺せないから。自分の中の何をも。
無視できないし分からなくなれない。分からなくなった時はあったかもしれないと思う。ただ、あの時は病気だった。
ライティングの話題だから書くことで言うと。仕事でもブログでもだいたい、「書きたい意見があることを書く」が基本で。
ネタをもらった時は、書きたい切り口を見つけるが基本。結果クライアントの意に添えなくなったときは、心を殺して自動筆記みたいにするけど次から断ってる。今のところ2回しか経験がない。
今、その話題は無理だ興味のある切り口ない、て思ったら仕事ポシャる。(これは、そうやって育ててくれた媒体があったからだけど)
ライティングじゃない話題で言うと、もう大人だから人との会話で過剰にエモくはならないようにしている。この記事のラスト少しネタバレになるけど、こちらがエモく話すと相手に負担をかけることがあるから。
私を知っている人とだけ対面でエモく話せばいい。対面でないと危険なことがある。特にネットだけの繋がりの場合、そこでは「先輩」とか「歳上の女性」という属性から外れすぎない方がいい。
これはストレスが溜まる…ので、あまりツイッターの相互フォローを増やせない。ネットでの会話になるとお互い当たり障りのないことばかり言ってしまって時間を無駄にしそうで怖い。そして面倒くさい。
普通じゃないあなたに
こちらもブロガーさんにエアリプみたいなこと言っちゃうけど。普通じゃないあなたがとても面白いし仲良くしたいし、心配しながらスター押したりする。普通でも変でもあなたの文章が私は好き。
ここから、本題。
ねぇ、普通じゃないとか一番エモいよね。
だから例えば、一見平凡な人なのになぜか子供の頃にクラスで浮いてたとか。
狙ってないのに毒舌だの変わってるよね〜だの言われて、変に距離を取られちゃうとか。私か。
そういうの、エモい人なんじゃないかな。
あと、音楽好きな人。ジャンル問わず。音楽はまず感覚だからね。料理もそうかな。
そしたら一芸に秀でている人はみんなそうなのかもしれない。あ、エモいから必ず一芸に秀でることができるというわけではない、多分。
学校や会社という狭い世間では変わり者扱いされて肩身が狭かった人こそ、今のウェブで個性が生きるのかもしれない、という光明を見た!
私の血にはブランキーが流れているよ。10代の頃からいちご水の入った瓶を振りかざして私は生きる。だから一生かけて私はエモい。平凡だけどエモいよ。これらは両立するんだ。
そして無駄なものこそが意味を持つ。さわおさんも林檎も反対の言葉を使って同じことを歌う。息が切れても無駄な日なんてありえないし、一度きりの今日には無駄がなけりゃ意味がない。
つまりエモーショナルとは?
エモいとは、エモーショナルとは、つまり「こちらが心を開く」こと。絶対にそう。
普通じゃない人のどこが人と違うのかって、「外面で生きていない」とか「正直」とか、そういう些細なところだと思うから。そしてそれらは無駄だとされていることだから。感情的なことは無駄だから。心を開くと無駄に傷つくから。
それが文章には生きるんじゃないだろうか。
だからエモーショナルライティングの最初の一歩は、「返報性の原理」なんだろうと考えている。こちらが心を開いたら、あちらも開く確率が高まるよ、というだけのこと。
本に書いてあるのは「自分事化」「話者の設定」「読みやすい見た目」とかのテクニックだけど。基本の考え方はこうだと私は捉えている。
「具体的に」はまだ本に書いてある以上のことはよく分からないし、自分ができているかは自信ない。でも例えばこの記事なんかは、記録しながら思いを伝えたいだけなので。誰かに読後の行動を促すものではないから、これ以上は何をしようもない。だからグチャグチャのまま終わる。

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