彩瀬まる『森があふれる』は、そもそものあらすじ紹介から変わっている。
作家の夫に小説の題材にされ、書くことを通じて奪われ続けてきた主婦の琉生はある日、大量の植物の種を飲んで発芽、やがて家をのみ込む森と化し――
あらすじに「主婦が発芽」って書いてあるのは初めて読んだ。
連作短編集をいくつか発表し、私の中で長編よりもそちらのイメージの方が強くなってきていた(だって力強い長編を書く作家は他にもたくさんいる)、
彩瀬まるは多分、視点を変えることを練習し少しずつ力を蓄えていて、
どのジャンルに足場を作れば書きたいものを書けるのか、を、ずっと模索していたんだと思う。
風変わりなあらすじでは何も伝わっていないところにこの作品の黒点があって、それが愛だ。
後半の迫力がすごいので、この記事もぜひ最後まで読んでみてくださいね。
1 瀬木口昌志(せきぐちまさし)
編集者が主人公の1は、今までの『神様のケーキを頬ばるまで』などの系譜として読めるお仕事小説な感じ。
作家・埜渡徹也(のわたりてつや)と、その編集者・瀬木口昌志が居間で仕事の話をしているのを、作家の妻・琉生(るい)が眺めている日常。琉生は以前、埜渡のヒット作である恋愛小説『涙』のモデルになった妻である。
ある日、瀬木口に埜渡から「妻がはつがしたんだ」と電話がかかってきて。
琉生の発芽から、瀬木口の日常にも不吉な影がかかる。怯えながら、仕事だから、と植物にじょうろで水をやる。作家の妻の肌を埋めつくしびっしり生えた植物に。
けれど瀬木口は、もともと歪んでいたんだと思うよ。
あの植物たちが、森が、そんなにも怖いなんて。
可愛い子供たちは眠っていて、冷蔵庫には自分のためのビールが冷やされている。そんな本当の、正しい家が、どこかで自分を待っている気がした。(p35)
そんなものはないよ瀬木口!
そして瀬木口は窓を開けて逃げ去る。
2 木成夕湖(きなりゆうこ・木綿子)
2の主人公は、埜渡の不倫相手である主婦。カルチャー講座で埜渡に出会い、
自分よりも年齢が上の男性で、(中略)、地顔が不機嫌そうでない、という人に会うのは久しぶり(p42)
とほのぼの思っていたら口説かれちゃう。。。
なんといっても
「お嬢様」は、慣れてしまえば簡単だった。そしてびっくりするほど男の子に好かれた。(p53)
と自分の半生を振り返るほどの、ほのぼのさ。
ここの51~54ページの描写が、昨今のジェンダーでバチバチに戦うべき「愛され」問題を突き付けてくるのでぜひしっかり読んで。
そしてそういう毒も罪もないぼんやりさんに、違う名前をつけて愛でる作家。音は変えない、ゆうこ、夕暮れの湖を木綿をまとった女にするだけ。
"全く違う名にはせずに響きを残したまま別の字を当てることは、ありのままを受け入れる気はなく、でもあなたがいいから自分に都合良く変質しろと言っているようなものである。” https://t.co/hqNFqxFXzz
— きまや (@kimaya4125) 2019年11月11日
読み返すたびにこのへんから、埜渡マジで罪深いな…!と叫んでいます。
それなのに、この世の誰一人として、私を見ていないと感じるのは何故だ。(p67)
そこでその疑問を持ったのはいいが、自分に惚れてもいないで他の女と結婚している男の返事を待っては駄目だ、夕湖。
もらえたその返事はろくでもないし、ぜんぜん真実なんかじゃない、それは本質ではないよ。
その疑問に答えるのは自分だ。そして夕湖は家庭に帰る。
3 白崎果音(しろさきかのん)
ここで一度、主人公が編集者に戻るので、お仕事小説ノリ再来かと思ったら大間違いで、2でちょっと出てきた「女性の生き方」的なテーマがメインになっている、と思う。
わかりやすい恰好をしていった方がいいよ(p76)
「なんで同期でも男から女に呼び捨ては自然なことで、でも逆はしにくいんだろうとか、考えたことある?」(p86)
色々なことを言われる白崎は、きっと柔らかな雰囲気の外見をしているんだろう…。
夫と二人暮らし、子どもはまだいなくて、瀬木口から引き継いだ編集の仕事は忙しいし、夫も忙しそう。
けれど夫は最近、白崎の仕事を馬鹿にしているふうにも見える。口を開くと仕事の愚痴。「あいつは使えない」「俺はいつも尻拭いばかり」
(ちなみに彩瀬まるは「テレビを見ながら悪態をつく人」にとても厳しい!)
学生の頃に恋をした、見聞きするすべてを分かち合えた楽しい先輩はもういない。
でも、どうしていなくなってしまったのだろう。(p94)
仕事でもプライベートでも、たくさんの「どうして」を抱えた白崎は、埜渡にほんのり馬鹿にされ続け、それでも自分だって琉生に自分の勝手なイメージを歪んだまま押し付けて、「物語の登場人物として」流生を消費している。生身の流生は見ない。
連帯は簡単ではない、と思い知らされる。
あなたは本当に、人権や尊厳の話を、していますか。
それだけだよ、なんの悪意もない。それがひどいことだなんて感じる機会すらない(p111)
気づいて、気づかせてくれ。同じものを見て。
4 埜渡徹也(のわたりてつや)
はい、ここから物語の深度が大きく変わるよ。
書くことに半ば呪われている埜渡、女を錘(おもり)にするか、何かを書くかしていないと自分が消えちゃいそうで、妻が森になって最近ちょっとピンチ。
正しくてうっとうしい錘があるからこそ、自分が良いのか悪いのか、浮いているのか沈んでいるのか測ることが出来る。(p128)
埜渡ひどいな、と思わされながら読み進めてきたけど、この結婚観は分からないでもない…。
書く題材を求めていたところ、編集者・白崎にそそのかされて、ある日2階の森に入ってみる。だってこの森、妻だし。また彼女で一作書こうかな、ってノリで。
でも
女が放つ「どうして」からは、お前自身を解剖し、醜い部分を切除しろ、という野蛮な気配を感じることがある。(p130)
から、本当はいやすぎる。それでも、書かなきゃ。
森に入っていくことは琉生に入っていくこと、一緒に行くんだよ、妻のところに。そういうことにしよう、という約束(p147)をしたんだから。
と思ったら、母親にたどり着いたりするんだよね…。根っこはそっちか…!
昔言われたことへの解釈の行き違いが、ずっと埜渡を傷つけていた。本当は小説家になるつもりじゃなかったんだ、家業を、家業が。兄が。母が父が。
それでも、確かに埜渡は優しい。
要領の良い自分ならともかく、こんな殺伐とした場にあの子がいたら、きっといじめられてしまう。馬鹿にされ、小突かれ、おどおどと周りを見回す姿を思うだけで、胸が張り裂けそうに痛んだ。(p151)
いじめられないように庇ってあげよう、と思ったんだよね。
5 埜渡琉生(のわたりるい・涙)
本丸です、森になった女。
ヒット作のヒロインとして夫から書かれた過去を持つ女。名前の漢字を変えられて、言ってしまえば都合よく改変されて。
この5の部分を書くために『くちなし』や『朝が来るまでそばにいる』が書かれたのかもしれないと思った。
幻想風味を入れながら、突飛だったりありきたりだったりではなく、単に風味なだけではなく「こうすることでしか書けないこと」を書いている。
フィクションにしないと書けない情景。
現実世界で発芽して、家の中の森になり、庭にはみ出し森の中に階段を作り、行き止まりに立っている琉生。
ここまで琉生の内面は書かれていないけれど、誰よりも正直だった。そして戸惑っている。
夫と生きていて、会話をしていて、断絶に心折れつつあった。
少しずつ少しずつずれていく、と思いながら、琉生はそれを言葉で制することができない。(p157)
この、森というのが何なのかはっきり分からないんだけど、森の中には家があって、そこに美しい女が住んでいます。
いや違う、見方によっては美しい女、かつては美しかった女、が。
この167~171ページの、女同士の対話の迫力が凄まじくて。びっくりするとともに、
愛について語り合うこの二人の阿呆が体現しているものが、愛そのものだとも思う。
「そんな風に、愛を役割にされた人は、理性の性質を奪われる」(p170)
VS
そんな苦行に付き合わせることが、本当に本当に愛なのかしら(p171)
の戦いは愛の性質を問うている。
けれどそれをすべて抱えたまま越えていく、流生。最後には夫を森にする。小説家を、森に。
小説家の森には花が咲いているよ。文章と花が舞う森。
さあ、話をしよう
そして私たちは森と人間の話をするんだ。書くんだ。
人権と尊厳と、人間の話を。
ディスコミュニケーションの一言で片づけるんじゃなくて、ベクデルテストをパスして、世の中と自分の本棚を再構築するんだ。
ないことにする物語じゃなくて、すくいとってくれる物語が読みたいよ(p181)
本当にそうだよ。
これのことだ。
※追記(2023/01
英訳されるそうです!
彩瀬まるさんの「文藝」初出の傑作『森があふれる』は今年英訳発売予定です!https://t.co/2HbnZFlm6J @CatapultStoryより
— 河出書房新社 文藝🍡春季号発売中🎉創刊90周年❣️ (@Kawade_bungei) 2023年1月13日
【参考記事】
書く者と書かれる者、作家、夫婦、ときたところで島本理央がこの作品を書評しているのがニクい。
対立も断罪もしない新しい夫婦のありかたとは? 島本理生が読む「作家の夫と書かれる妻」──彩瀬まる著『森があふれる』書評|Web河出
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