太宰府に帰ってみたら
同じ夏の暑さでも、都市の暑さと田舎の暑さは違うと感じた。都会にビル風があるように田舎には突風があり、ヒートアイランドがない代わりに土の匂いが立ち込める。
都市には人が増えるが田舎では人が減るはず。なのにこの暑さはなんだろう?
太宰府に海風はない。
福岡市のマンションを離れ、太宰府市の実家に住まわせてもらいながらずっと、この体感する暑さについて考えていた。
福岡は、6月の時点で32度を記録していた。まあ、今年はどこも暑いだけなのかもしれない、と思っていた。
太宰府天満宮
太宰府市といえば、太宰府天満宮。菅原道真公のお膝元である。
私の離婚を心配してくれた友達が、九博を見に行くついでに慰めにきてくれて、会った。駅の改札まで迎えに来てくれてありがたかった。
電車はなんだか和風で、可愛いデザインだった。太宰府観光列車「旅人 -たびと-」
私は、太宰府天満宮までたどり着けなかった。カップルが並んで別れてしまうと 評判の、池の赤い橋も渡れなかった。疲れていた。
天満宮の裏手には、よく通った肉まん屋さんがある。かぶりついたら肉汁が溢れるデカい肉まん。
そっちには近づけなかった。(10月に改めて参拝した。写真はその時のもの)
だから、建築の観点から超有名なスターバックスに行ったよ!
太宰府スタバの店内、天井がこんなことになっていました。
最近ではめっきり海外からの観光客が増えた。自撮棒で動画を撮っているっぽい人もいたけどあれユーチューバー??
実家近くでも、観光客を満載したツアーバスを散見する。聞こえるのは中国語かハングル。
スタバのトイレの前で話しかけてきた5歳くらいの女の子はハングルだったので、意思疎通できず…。でも多分、今おかーさんが入ってるから!みたいな素振りだった。中国語なら大学でやったのに、…いや、もう忘れたけど。
とは言え、私の住んでいる場所は少し太宰府天満宮から離れていて、のどかなものだ。
大宰府政庁跡
幼い頃は住宅街と田んぼを交互にくぐり抜けて学校に行き、マラソン大会では遺跡を走った。
政庁跡。大宰府跡。(遺跡の名称は『大宰府』が正しいらしい)
とても気持ちのいい場所ですよ。
学生時代に親に借りたデカいフィルムカメラで撮っていた場所を、また同じアングルで撮って遊んだ。
昔より看板が増えていた。ゴミを捨てるな、系の。
見慣れた石と、フェイクの石と、木と小川とカーブした道路。
この道で私は、「私はもうダメ……先に行って!」と、スパイ映画みたいなセリフを息絶え絶えに吐いた。そんなマラソン大会の思い出がある。
ここで生きていく、のかもしれない
7月に福岡市が36℃だった日には、太宰府市は38℃を越えていた。
この、都会ほどじめじめしておらず土も風もあるのに熱い、アスファルトとはまた違う材質の鍋にでも入れられているような、熱さ。
台風が来れば(毎年来る)、家中が軋んだ音を立てて震える。雨が降れば大雨警報が出て、背後の山が崩れるのではないかと怯える。それでも逃げるところはない。避難所の方が古く、立地が悪いから。それでも万が一に備えて、祖母の避難グッズを一緒に詰める。
野球やサッカーの試合がTVであれば、隣や裏の家から雄叫びが聞こえる。
隣の家の「次の人お風呂どうぞー」が聞こえすぎて、どの家のことか分からない。私かな?と思うけど我が家には弟いなかった。
仔猫が親猫とはぐれて道路で鳴いては人の手でそっと生垣に戻される。乾いた生垣には季節ごとの花。
そこに一晩放っておけば、母親が迎えに来る。こんなところにいたのね、と。首根っこを咥えて、どこらの寝ぐらに帰っていく。
人間が用意していた段ボールは、彼女たちには必要ないらしい。
暑い、熱い。
15年ぶりに帰ってきた私は、だいぶ都会の空調に慣れていて、家にいるだけなのに体温調節に失敗して熱中症になりかけた。
このままで冬は越せるのだろうかと、不安でしかない。お金を貯めて暖房器具を買わないと。
そんなこんなで、田舎に引っ込んでもがんばって生きています。
いつか平和に孤独死する日までは、がんばろうと思います。そんな8月の終わり。