きまやのきまま屋

日常、本、音楽、映画、写真のこと。趣味人のきまやがきままに書いてます。

日記置き場 2020 4~9月

noteで書いていた日記をまとめて置いておきます。

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9月

9月は何をしていたのか問題。イベントがなさすぎて記憶がない。

 

図書館がしばらくお休みだった。お墓参りに行った。髪を切った。

 

たぶんダラけてしまっている。外出をあまりしていない。とは言え健康。ラジオ体操とウォーキングはしている!

 

インターネットにいるとよく思う、人は品を無くすと良くない。

リアルを見ると思う、人は人の悪口を言うと良くない。人を冷笑・批判する人は醜い。愚痴とはまた違っていて。

 

事態に進展がないので、今何かを考えても無駄なのかもしれないな、と思っている。行動を伴えないので。違うな、今は些末なことではなく、他のことを考えるべきだと思っている。

 

どういう生き方をしたいのか?的なことを。仕事は一つ来たのだけど、合わなかった…テストライティング分はお給料をいただけたのでよかった。ライターで何かっていうのはやっぱりもう無理か。

というか風潮が苦手だと思うことが増えたので、うーん。。。となる。

 

苦手なことを無理してしなくていい、と思っている。だから、そういう生き方はもうしないんじゃないかな。

 

というように、仕事全体のことを考えたり、話す言葉のことを考えたりしていた9月だったと思う。

人と話してはいない、だから実践はないけれど、そういう本をよく読んだ。

 

言葉にできること、できないことというのは大きなテーマの一つ。やっと最近、「ぜんぶ言えるようになった」と思えた。それこそ、冷笑せず。

 

起こったこと、言われたことを、「こんなことがあったんだよ」って言えるようになった。傷つきすぎてると描写すらできないので!

 

自分のことを伝えるには、自分の言葉が必要だ。私は何を持っているのだろう。語彙?形式?

 

言葉にするということは、食べたり寝たりすることと同じくらい、人間にとって大きな行動なのに、軽んじられているなぁと思う。私も、ここ10年くらい捨てていたけど。(捨てないと自我を乗りこなせなかった)

 

信頼している歳上の友人から、「孤独に慣れた方がいい」と今年の始めに言われた。数ヶ月くらいピンとこなかったけど、分かってきた気がする。

だから違う友人を慰めようと思った時に「孤独を磨いたらきっとうつくしいよ」と言ったのだけど、横で会話を読んでいた歳下の友人に意図せず刺さっていた。

 

人は色々なところで色々な言葉に出会うんだなぁ、ということ。

中村一義の『ショートホープ』の歌詞が満遍なく好き。


中村一義 - 「ショートホープ」

 

8月

丸一か月こねくり回していた文章を昇華します。つまり短期記憶置き場。

 

ほんを、読みすぎて何がなんだかわからなくなる時期に、プライベートの暇さが重なり、戦争の話、音楽の話、物語の話が、すっとお腹まで落ちてきて静かになる。 昔考えていたことを、ふと思い出したりする。

去年私が殺した私の分人が、そもそも生まれる前に思っていたこと、それとも彼女を押さえ込みながら日常を生きていた頃に考えていたこと。 それと繋がりたい。

 

だってあたしは「サバイバー」になりたいわけじゃないんだ。

 

と思えど、 10代の思考に戻りたいと考えている私の言動は、たぶんとても単に幼い。 それでもそこから始めたい。少しずつ取り戻す。だから本を読む。

 

何度もこうやって自分を取り戻したいと思って、また改めて取り戻す。いつも見失っているのだろうかそれとも元々デカすぎて細切れにしか取り戻せないのだろうか。本当にわからない。

 

フィクションを詰め込みすぎるとこうなる、良いフィクションがたくさんほしい。でも多分適度に低級なものもほしいし、ベタだって一度は通らないといけないのだ。もしかしたら数回。

 

一人では、乗り越えられないのかもしれない。

 

ところで話は変わるようで変わらないけど、私の感情は他者の感情を反射しているだけなのかもしれない、と7月の半ばから思っていた。

 

じゃあ発露はどこなのか、根源は他人なのではないか。そんなことで自我は何をどう取り戻しているんだろう?うーん、自我でもないのか、取り戻されるべきは。

 

という思索の状態に持ち込むと人生が捗る(と私は定義している)。

ジタバタするのではなくモリモリ考える。 それにはフィクションが有用なんだけど、しがみつけるものを探すように言葉を探すとよくない。 (易きに転んではいけない、と思っている。先人の作ったけもの道を通るのではなく、己の足で道を作るのだ。江國香織チルドレンだろう、私たちは?)

 

賢い人はきっと、すでに描写しているだろう。尊厳だとか、自由だとか、未来だとかいうのだろう。あら、例えがベタ。

 

既製品を見つけるだけならきっと何でもいい、どんな学問にでも答えはある。 でもそういうのって、既製品、どうせ覚えていられないからね!

 

特別なものがほしいなら、取りにいかないといけない。誰かさんが井戸に潜るように。そして帰ってきた人が、自己?それとも獲得された「もの」が本体?いやいや、獲得する過程こそ人生?

 

考え事をしている。音楽が鳴っている。

 

だいたいのことは「いっしょうけんめい喋る」とうまくいく。「じょうずに喋る」のではなくて「いっしょうけんめい喋る」んだ、私はそうする方がうまくいくんだ、このあいだ夜中にそう思った。これが真相だった。

 

そうしたら「エモーショナル・コレクトネス」という概念をネットで見つけたので、符合した、と思った。

 

ユリイカ!

 

他者を反射している話、感情の話なんだけど、つまりあれだ「自分がコンプレックスを持っていることに人は過剰反応する」と同じ原理で、選別は行われていると思う。無意識のうちに。 そして感情を好きなだけ増幅するのが私。しかし撲滅もする。

 

感情があって

悲しさはそれの一部分だから

涙が流れるはずはない

はずはない

はずはない

Blankey Jet City 『感情』 

 

だから人から何を向けられたとしても、反射するのは「すべて」の感情ではない。引っ掛かりがあるものだけ、だと思う。

となると、引っ掛かりを覚えたなら、それこそが一つの選別が行われた後の状態。よし一つ分かったぞ。

 

そして同時に、どういう方向に跳ね返すのか、という話もある。入射角と反射角って言ったっけ。しかし私の中はブラックボックスなので同じ角度にはなりません。ちょっとは似るかもと思うけど…。

 

つまり他者を反射しているとき、有り体に言うと他者に反応しているとき、私は「何に」「どのように」反応するのかを自ら選別している。お手製のフィルターに引っ掛け、自分というブラックボックスに放り込んで。

だから十分に恣意的であって、自然に反射したわけではないのだ。

私の意志で答えを出しているといえる。操縦されているのではなく、選択している。 だから「それ」は自然現象ではなく、私が決定している。

 

この点があやふやになっていた。 それらが一瞬で行われているから、私は「これは反射である」と認識するんだろう。けれどそれは誤りで、私は無自覚のうちに一瞬で自分を何らかに使っている。何らか…選別に。

 

お、まともな答えが出た。途中までは分かったと思う。

考え事をしている続き。音楽はまだ鳴っている。

 

私はずっと同じことについて話している。違う口調で同じことを言っている、なんども、誰も聞いていなくても。正直そろそろ自分で自分に飽きてきている。どんなに面白くてもそりゃもちろん飽きるさ! とはいえ仕方がない。感情は増幅されても継続はされないのに、しばらく残滓はある。

 

でもそれとも関係なく、いやおうなしに、私は最初から最後まで同じ話をしている。たぶんしていると思う。 違うように聞こえるなら、そこに反射がある。あるでしょう?

 

けれど前述のように、反射は選択を秘めている。 だから、気に食わないなら封じ込めていいし、自然発生したものではないのだから踏み潰していい。

感情はある、よく反射もする、得難いわけではない。フックになるものは沢山ある。それは奇跡ではない。新しい感情を注がれることはある。それは運命ではない。

だから、どんどん増幅して、相手に投げ返してもいいと思う(常識の範囲内で!)

 

さあ、選べ。 あれもこれも、もうなかったことにはできないんだ。

さあ、認めろよ。 平気なふりして、忘れたふりをしていくだけ。

 

うーん、ハレルヤ!

 

さて、私は暗い曲が好きだし性格も暗いので文章もだいたい暗いが、実はめちゃくちゃ元気にしていて、八月のテーマソングは


Helen Reddy - I Am Woman (1971)

 

でした。そんな八月。

 

7月

月末に書こうとしていたけど悩みごとが多くて間に合わなかった… だいたいここは、ガーっと5000文字くらい書いて、愚痴と文句と書いてはいけないことを削って、1000文字以下にする過程があるから…

 

7月のニュースは、月末にバイトを辞めたことです。

いや、もう去年の秋頃から辞めそうになってたろ?粘ったよ?

で、年明けバタバタしてたのにコロナの影響で春から仕事なくて、復帰したら急に大概ドギツイ繁忙期で、…復帰でつまづいた。

 

平たく言うとずっと血の匂いがしてて、こりゃダメだと思った。ノルマで胃も痛かった。時給たぶん400円くらいだったし、私の納品量だと交通費満額出ないし。ああだめだ褒めるところがない。内容は好きだった。私が賢ければ良い仕事だった。

 

ベテランバイトの先輩たちみたいになれたら、田舎なら一人暮らしできるくらいにお給料もらえる、と、去年から張り切っていたんですが。2週間くらい悩んだけど、辞めました。

 

そう私はバイトが続かない女。生きるモットーは「健康第一」です。

ねぇこれも自己責任になる??? とはいえバイトなので大丈夫!!!

 

しかし今の状況って、遊びに行けないし(地元の市は感染者は1日1人いるかいないかなのに、私がよく遊びに行く市は1日100人越えたりしてる。私は90歳の祖母と同居。都会の飲みの席is無理。一人暮らし独身勢うらやましい…)、 だから化粧品も服もいらなくて買わないし、外食もしないため、バイトに対してお金をモチベーションにできなかった…

 

おばあちゃんとお父さんが元気ならお母さんは生きていけるのに(年金っていい制度だよね)、出戻りの私がフラフラして感染したらこの一族が壊れる。 そんな言い訳が成り立ってしまって、情けない限り。

 

…となると、何のために生きているの?ってなるよね。なって自然だよね。

家族もない、仕事もない、養うべき被保護者もいない、定収入もない、人との交流もない、ないない尽くしじゃん? もう何もない、ってなりそうやん?

 

ところがどっとい、私、 「本が読みたい」だけで生きていけるんですよね。

びっくりだわ。

 

一つだけ欲望があれば生きる理由になるので、孤独も酷暑も無職も関係なかったわ私の人生…私を養えると父が喜ぶしね… ということで八月が始まりましたね。

 

Amazonプライムビデオでフォロワーさんたちと『アンナチュラル』観ようねーって言ってるんだけど、微妙にグロいので途中で『逃げるは恥だが役に立つ』に切り替えて、懐かしさとムズキュン?でもんどり打っています。私は実家の元子供部屋を満喫しすぎじゃない?

 

あっ、こんなこと書いていても、リアルの方々に「じゃあ俺が/僕が」みたいに言われても首肯しないのでそこは放っておいてね!

 

そう私は敗者復活戦のチケットを破り捨てる女。あなたたちもネトストしてないで速やかに退場しよう!

 

マイラブ甥っ子もお姉ちゃんも帰省しないことになったので、フィクションに沈む夏になりますね。私は何もいらないんです、私の猫が元気でいますように。

 

何もまとまらないので「your best American girl」を弾き語ります。


Mitski - "Your Best American Girl" (Recorded Live for World Cafe)

 

それではお元気で!

あなたが「人の気持ち」や「不妊」や「弱者への思いやり」について語る時、私の顔を思い出す呪いだけはかけておきます。 放言より、一個くらい制限があった方が、良いもの書けるよきっと。

 

6月

最近、何も書いてなかった。意外に読むのも遅くなってて、あれ、私、元気がない…?と思ったらギターにハマってるんだった。

 

いくつか曲弾けるようになって満足して、6月後半はよく読んでる。

そしてここに書きに来た。

 

人は人間関係に対してたいへんに怯懦である。いや、やる気がない。

それでいて、めんどくさがりなのに得ようとする。みんな自分が自分の人生の主人公すぎて結果、人のことを思いやることが難しい。

じっくり考えないと、書かれていることは読み取れず、受け取ることができないのに。考えないと、渡すこともできない。私もそう。

 

想像力を駆使して言葉を使えよ。

誰も俺に指図をするなよ。

 

と、機嫌が悪い時はこんな感じで生きてる。更年期がくるの怖いね!

 

人との関わりを0にしていない以上、色々いわれるの仕方ないよなぁ、と思いつつ、まあまあゴキゲンに生きてます。

なぜなら音楽が鳴っていて、図書館が開いてるから!

そして6月の晴れた日って、妙に多幸感ない…?暑いのもいい、日暮れもいい、せかいが綺麗。

 

など思っているのに、ビジネス書は飽きたって言ってるのに、迷っていることがあるとつい惹かれてしまうものでもあって、こないだ『人は話し方が9割』という本を見かけて読みたくてたまらなくなった。

いやぁ、読みたかった、しかしあれは書評の力だった…。電書のサンプル分を読んで納得したので、買わなくてよかった。売れている本らしいよ!

 

私の知りたいことは本には書かれていない。本人に訊かないと何もわからない。

話し方の問題じゃないんだよー。

 

そして、何もわからず、詳らかにされず、責任も負わずただ喋って楽しいだけの状況って、とてもとても楽しいね。

時間が止まるなら今がいいな。この梅雨の晴れ間に。

 

 

5月

こういうこと書いてまた商材系の若い人とか来たら嫌なんだけど、ウダウダ書くの楽しいのでやめない。

 

一時代まわった感のあるオンラインサロン。閉じられたり思い出したように再稼働し始めたり、これは主宰さんがリアルでどれくらい忙しいかや、地域にもよるんだろう。

一方で、食い物にされる経営者、独立していくnoter、グループ化するフリーランスなど、世の中さまざまですね。

 

さて私はどうやってお金を稼ごうか…。もうね、人生の課題これしかないわ、他ほとんど解決したわ。

 

接客に戻るの楽しいかな。でも通勤とか正社員とかやってらんないよね!今お休みになっているお仕事がまた始まったとしても、4月からずっとのんびりしていたので、復帰できる自信がない。

 

新型コロナウイルスの、アフターだとかウィズだとか、色々な言説が広がっているようだけど(ポストでいいじゃん)、ウエルベックが書いていたように、何かが大きく変わるというより、加速されたんだと思う。過渡期が短く一気に来た、という感じ?

なんだってそうだ、と全部まとめるのは危険かもしれないけれど、今まで見抜けなかったことが露わになり、起こるべく変化が起こった。

 

とか書いてて、なんかビジネス書っぽいなぁと辟易した。いや、本音なんだけど。

最近、ビジネス寄りの話があまり面白くなくなってきたと感じる。私の方の変化だろう。選り好みせず何でも美味しくいただくのが取り柄なのに…。でも最初に書いたような人もいるし、普通に有害じゃん!って思った。とか書いて下書きに入れてたら箕輪さんが、わぁ。クソじゃん。

 

降参するよ。何でも、は美味しくないや。人生は有限なので、新刊ばかりを読んではいられない。コードばかりを弾いてはいられないように。人はアルペジオも練習しなきゃいけないんだ。うーん、ちょっと違う。

 

本を読むってなんなんだろうね。父の本棚を読破するには、あと3年くらい高等遊民しなきゃ無理。

バンドやろうぜ!の精神で元気になれるのは何歳まで?(phaさんがユヤタンとやってるの楽しい)ねぇ、バンドやりましょうよ。

 

コンプレックスをぶつけ合うことだけがコミュニケーションではないように、共感を示すことだけが愛情ではないように、連携することだけが連帯することではない、ということを実感できるだけの、まごごろがほしい。心からの。

 

友達からの至言。「考える価値のあることなら考えたらいい」「耳の痛い話から逃げてばかりはいられない」

 

逆に、友達に言いたいこと。楽しいことしかしなくていいんだよ。身を守って笑っていられればいいんだよ。

 

4月

noteってどういう距離感で書くんだっけ…?今年に入ってから力作を書きすぎてぼーっとしてしまう。いや、noteは素振りと、自由に内心をぶっちゃける場所。あまりぶっちゃけたことを書いてはいけないのではないか、という認識が一部にあるのだけど(書類に書いてある)、悪口じゃなければ大丈夫。ゆうて私は確認しようがないのに、こっちはネットで全公開しているのがねー…。ふん、書かないけど。

 

記録として。4月7日から緊急事態宣言。でもその前の週末から確か、外出自粛が求められていた。3月末はどうだっけ…なんか言われていたような気もする…もう記憶が曖昧だ(記憶がこれ以上曖昧にならないようにするために書いている)

 

個人的には、年末から色々とうまくいかなくてすでに引きこもっていたので、変わりないといえば変わりないけど、出たくなってももう出られないのねー、と思ったくらい。とはいえ2~3月もちゃんと遊んでたな。

 

休校のあおりを受けて、4月頭に仕事が止まる。ここで仕事が止まるなら試験に申し込んでおけばよかった><あと私ってフリーターなので、持続化給付金もらえないっぽいんですよね、、、失業したわけでもないんだけど、、、。しかし家族構成的に、自粛の鬼になるしかなく。じゃあ4月、なにをしていたのかというと、映画をいっぱい観ていました。

 

フリクリ全部と、エヴァの新劇版を全部観た!どっちもメル友とやり取りしながら観た。今更ながらインターネットすごいな。そして思った。

 

ともだちがいてよかった。

一緒に何かする、だけではなく、励ましあえていると思う。相談するしされるし、コミュニケーションそのものも、今はすべて友達に頼っている。(親とは仲良しだけど、心配をかけてはいけないので)

ネットでつながれていない友達はそんなにいないので、文字のコミュニケーションがメインになるのが、よかれあしかれではある、かな。

 

私は文字が好きだけど、短い早いやり取りは苦手なので、このタイミングというか扱いが合う人が友達として残りがち。もちろん、あまり時間を取らせてはいけない人には短く送るけど。。。

 

恋愛だかビジネスだかのテクニック的に、「相手から好意を持たれるために、連絡は相手に合わせましょう」みたいなことをよく見かける。頻度、内容、ツールそのもの。スタンプまで揃えろとか。

 

しかし、「合わせる」ことを目的にしているとさぁ、そもそも、連絡するの面倒になるよね…。

たとえば「この人はメッセンジャーがメインだから移動」とか「この人は楽しくなるとlineでチャットみたいにしがちだから即レス」とかって、合わせてると、疲れるよね…。疲れる連絡ってしたくなくなっちゃう…そこのところテクニック的にどうなんですかね…私だけなんですかね…。そういえばそのせいで途絶えたであろう仕事もあるな…。

 

今の私は、それぞれ一番相手が使いやすそうにしているツールで、一週間~半月に一回くらい、1000~5000文字にわたるメッセージが来る、という、非常に楽しい現実を過ごしています。私が暇そうすぎてみんなかまってくれる(嬉し泣きの号泣)

「キャリアメールで3000文字」コースの人がいるのが個人的にウケる。みたいなことをやっていた4月だった。まだ続きそうだけど。

 

あと、実は、ちょっと思い詰めて「ツイフェミになればすべて解決するのでは?」と3日間くらい悩んでいた。まじめに。

 

リアルで怖いことがあるのだけど、たぶんリアルを牽制できる側面がある、私の「きまや」名義。もう怖がらなくていいのかなーとも思うけど、何も状況が読めないので、この牽制をしていることで自分が安心できるという側面がある。

 

その究極は「ツイフェミになる」ことだ!とひらめいてしまったんだけど、思いとどまりました。

 

易きに流れてはいけない。

こわがりでよわいのはかまわない(仕方がない)が、楽になろうと力任せに粗雑に何かを定義してはいけない。二階堂奥歯『八本脚の蝶』p126 

八本脚の蝶 (河出文庫)

八本脚の蝶 (河出文庫)

 

私は、そうやって生きない。

 

あと、最近BLEACH読んだんだけど、「強い言葉を使うと弱く見える」っていう敵のセリフがあって、めっちゃカッコよかった。というようなことを思った、という記録でした。

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