きまやのきまま屋

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「パンがないならケーキを…」発言を巡る、ソフィア・コッポラ監督『マリー・アントワネット』とルソー『告白』

2006年公開のソフィア・コッポラ監督作品映画『マリー・アントワネット』には、何の権限も持たず衆人環視によって閉じ込められた女王・マリーが、子育てにおいてルソーの思想に傾倒する描写がある。

 

しかし映画の中のマリーは、自然豊かな環境(国王である夫から与えられた「プチ・トリアノン」という庭園付きのお城)での暮らしにも結局は満足せず、不倫に走る。しかし一方でちゃんと夫を支えもする。

そうこうしているうちにフランス革命が起こり、宮殿を追われる場面で半ば唐突に映画は終わる。

 

プチ・トリアノンで自作の演劇やってる時は楽しそうだったのにねぇ。

このあたりプチ・トリアノン周辺はなかなかまとまりのない部分であるものの、閉じ込められて国民から嫌われている二十歳そこそこの女の子が、「自然っていいよね」って言いながら子育てしている描写はうすら寒くてよかったし、映像がとても綺麗だった。

そしてとても皮肉に思ったものだ。「マリーが、ルソーなんですか」、と。

 

 

広く知られているように封建社会・絶対王政を批判したルソーの思想は、フランス革命へ大きな影響を与えている。

同じ時代に生きている人間が、同じ思想家の影響を受けながら、追う民衆と追われる王族となってしまったって、けっこうな混沌だと思う。

ソフィア・コッポラ、ここは皮肉?

 

前提として、ソフィア・コッポラはこの映画を悲劇にまとめている。救いになるエピソードは見当たらず、映画はあくまで「華やかだが、空虚」に描かれる。

ドレスやスイーツがどれだけカラフルでも、夫が優しくて彼氏がカッコよくても、本人は気づいていなくても、いつの時代でも、ソフィア・コッポラが描く女の人生はだいたい空虚である。

 

そこには、最期はギロチン刑という”悲劇的な史実を忠実に再現”したという以上に、マリーの言動に対する悲観的なまなざしがある。それはこの映画において最初から最後まで一貫している。

(ちなみに、若い女性の空虚さを描くことはとてもソフィア・コッポラらしいので、納得感しかない。)

 

映画においてマリーがルソーに言及するのは、「文明によって人間が堕落する」「(自然に溢れる隠れ家は)儀礼から逃れられる場所」などの数か所に過ぎない。なんか分かってなさそう感がとても出ている、演出がニクい。

ヴェルサイユ宮殿に住まう王族を我が庭に座らせてルソーを読み聞かせるが、なんとなくキョトンとされているも、本人は気づかず(というような演出に見える)

 

そしてルソーと言えば『告白』での

「百姓どもにはパンがございません」といわれて、「では菓子パンを食べればよい」と答えたという、さる大公夫人

というエピソードである。(岩波文庫版)

 

…こう書くとけっこう、実際の記述あっさりしているなぁと思いますね。

「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」とはちょっとニュアンス違うし、そもそもが「大公夫人」になっている。マリーを名指ししていない。

で、歴史やトリビアが好きな人は知っていることだろうけど、そもそもこのエピソードは「大公夫人」の発言であって、マリー・アントワネットが言ったわけではない。

年代的に矛盾がある。

gigazine.net

 

けれどソフィア・コッポラは、しっかりそのセリフをマリーに言わせる。

田園風の生活に飽きて宮殿に戻り、がっつり不倫をして夜ごとギャンブルに興じ、メイク落とさずアクセつけたままお風呂入って赤リップくっきりなキルスティン・ダンストに、満面の笑みで。

「ケーキを食べればいいじゃない」

そしてその後すぐ場面を転換し、本人に否定させる。

「そんなこと言わないわ」

 

つまりこの箇所は、”民衆の妄想を映像化”した場面ということなんだけど、

そもそもフランス革命が始まる前の時点で、このセリフがマリー・アントワネットが言ったものだと断言されていたのか、私は今回調べていて分からなかったんですよね。

 

どうしてかというと。(今から諸説ある話になるし、私は特に詳しくはないです)

 

マリー・アントワネットが「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言った、と断言したのは、1843年のアルフォンス・カールという人の記述らしい。アルフォンス・カールは他にもマリー・アントワネットに言及しているらしいが、そんなに有名じゃないのかwikiが混乱している…。

 

フランス革命が起こったのは、1789年だとされている。

ルソーが『告白』の該当箇所を世に出したのは、いちおう初出を例に挙げるけど、それより前の1766年ごろ。ここはいい。(ただ、当時マリーはまだフランスに来ていないので人違い)

 

このセリフがマリー・アントワネットのものだとされたのが、1843年

 

うーん、つまり、「マリー・アントワネットが『パンがないならケーキを食べればいいじゃない』と言って、民衆の反感を買ったことが、フランス革命のきっかけの一つ」

という定説、ソフィア・コッポラも(意識してかどうかは不明だが)採用しているこの説、ただの後付けだ。

しかも言ってもいない。

 

後の世代の人がルソーを読んで、「そういうこと言いそうなの、マリー・アントワネットじゃない?」って思っただけ、みたいな…?

 

虚偽風説の流布ってやつだ。しかも後年からの後付けで。

当時フランスで「ねぇ、ルソーが20年以上前からディスってるのって今の王妃のことじゃない?絶対王政も批判してるし、そうだよね!」「えー、『告白』の時ってまだ王妃ってフランスに来てなかった気が…でもルソーだもんね、ありうるわー」みたいに、ノリだけで言っていた人がいたのかどうか、かなり気になる。

 

人は、分かりやすく説明のつくことを好むんだな、という歴史解釈のポピュラー例でした。

そしてそれを軽やかに映画にするソフィア・コッポラやっぱり好きです。

私は岩波文庫を手に取りましたが上中下3冊だった。長いな…。

 

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