そのへんを歩いてみよう、という話になった。地元から、街へ向かって。同行者はR。いわゆる幼馴染である。けれど幼いころに口をきいたことはなかった。ずっと同じ学校で、お互いを目の端に捉えていた。十代後半になってから言葉を交わすと妙に気が合った。
二月にしては春のような陽気で、私の羽織ったスプリングコートに目をとめたRが言う。
「学生の頃も紺色のコート着てた」
「あれはお下がり。流行りのベージュを買ってもらえなかったから」
「目立ってたから見つけやすかった」
「今でも父は『ベージュのトレンチコートだけは着てくれるな』って言ってる」
「あいかわらず変わってんね」
「凡庸を憎む血筋で」
「呪いかも」
学生の頃に私たちは、「福岡の中心の駅から家まで歩いてみようツアー」を開催したことがある。西鉄電車の線路をたどっていけば、理論上は可能だった。
三駅目で体力の限界を感じて発作的にRを置いて電車に乗った私に対して、Rは歩き続けたらしいが、途中でなぜかJRの駅に着いたのでそのままJRに乗って帰った、とあとから聞いた。
「線路、途中で交差してるからね、とんだトラップだ」
「リベンジしたいけど体力がない」
「三駅で諦めるのはちょっとどうかと思う、今では」
どちらが何を言っても平和なもので、陽気の中をゆったり歩いていく。田んぼと川がある。学校と土手を過ぎる。
共通の知人の最寄り駅では、建物以上に匂いが目印になる。
「あいかわらずネギくさいね」
「どこから漂ってくるのか……」
高校の最寄りのTSUTAYAはなくなっていた。駅はずいぶん変わっていて、古くて愛らしい西鉄ストアもなくなっていた。私がRのために画材を買った、何屋なのか分からないお店だけがそのままあった。
にぎやかな印象の広場は閑散としていて、高架下は変わらず健全に薄暗かった。
「ビリヤードしたい」
「ここで行くならカラオケでしょう」
「広場で歌ってたの誰だっけ」
「I’m the one who wants to be with you!」
「もうJRの線路は過ぎたっけ」
「川と一緒に過ぎたよ」
「正しい方に来てる?」
「正しい方? 百道浜と君と室見川の方?」
「そりゃ、だいぶ西に向かうことになるね」
「タワーが見えれば可能」
「赤くない方ね」
「そう」
「最近このへんで友達ができたんだよ」
「それはよかった」
「お互い友達少ないからね」
「今でも少ない?」
「実はそうでもない」
「うん、そうでもない」
「それはよかった」
ダラダラ話しているうちに声が聴こえなくなったと思ったら、前方と線路だけを見ながら歩いていたせいか、いつの間にかRとはぐれてしまっていた。
線路は続いているので気にせずに歩いていく。街はもう、すぐそこだ。
(元ネタの本はこちら)
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