故郷の風景はどんどん変わっていく
私が大学生だった時、博多駅前にヨドバシカメラができた。
友達は「あの広告の派手さで街の景観が崩れる!」と怒った。
私が天神でテレオペをしていた時、勤め先の数ブロック先にPARCOができた。
従姉妹は「福岡に東京が来た!」と喜んだ。
13年振りに実家に帰ってみると、車で30分以内に行ける範囲にイオンが5つできていた。
両親は「この家、今が一番住みやすい」と安心している。
ヨドバシカメラが駅前にあって、街にはPARCOがあって、車で行ける範囲にイオンがある。
こういうのを「コモディティ化」と言うんだろうな、と思う。
これはモノについての言葉、ひいてはマーケティング用語なので、街に対して使うのは一般的ではないのかもしれない。
けれど、「均一化」「同一化」という意味でリアルに実感する。東京と、大阪と同じものがある、買える。
ほんの20年前からでも、考えられなかったことになっている。
景観が崩れるのは悲しい、けど
開発が進むまで、博多駅なんて地下街しかないみたいで(通学路じゃなかったので詳しくない)、友達と会う時に天気を気にしなかった。同じ県でも、知らない街みたいだった。
反対に天神を庭のように感じていて、夜中に車通りが絶えた渡辺通でみんなでゴム跳びをしてた。でも薄暗いビルがいくつかあって、少し怖かった。
家に帰ったら、駅までチャリをまた30分こぐのが面倒で、二度と外出しなかった。
けれど今では博多駅に知っているお店があってお気に入りの餃子屋さんがあって。
天神はテナントの入っていないビルがなくなって、いたるところにスタバがあるからいつでも休憩できて。
家にいてネイルが剥げたらふらっとダイソーまでネイルシールを買いに行ける。
街が、道が変わりすぎていて、ここがどこだか分からない瞬間は多い。
懐かしい建物はどんどん消えていく。
便利なことは、良いこと
田舎であることは悪いことではないにしても、不便であることは、住んでいる人にとって悪だった。
だって、前まで、田舎であることは何もできないことだった。
知っていても手に入らない。
ほしくても買えない。
聞いたことはあっても、見たことがない。
私の物欲のせいだろうか。
慎ましく生きられない私が、土地に合っていなかっただけだろうか。
でも、必要なのにその本がない。関連書籍が棚に並んでいない。
とても悲しく思いながら、大学の図書館でしか参考文献を探せない時期は、辛かった。
もしジュンク堂が天神にできるのがあと一年遅かったら、私はいくつかのレポートを放棄していたと思う。
便利なことは助かる。必要なものが手に入るのは、安心する。
だから、コモディティ化が悪いとは一概に言えない。
便利なことは、「すぐにスタートラインに立てる」ということだ。
地元の雰囲気が~、とか、昔ながらの風景が~、とか言われるし思うところはあるけれど、私は一貫してコモディティ化の恩恵ばかり受けている。
電車の本数が増えたら、電車好きの甥っ子が喜ぶ。
阪急のネットスーパーは、父のために塩分控えめ弁当を翌日配送してくれる。
イオンには、東京の友達が教えてくれたホットヨガのお店がある。
冒頭に紹介した、ヨドバシカメラのけばけばしさに憤った友人ほどの地元愛が、私にないだけかもしれない。それでも、便利なことは嬉しいこと。
山が消えるわけではない。
海が遠ざかるわけでもない。
コンクリートは増えた、でも人も増えた。住宅地が増え、夜でも明るい場所が増え、夜になってランニングやウォーキングをする人が増えた。
自然には良くないことなのかもしれない。
でもこの便利さを享受するのは、私には喜ばしいことなんだ。
山の高さを変えられるわけではないし、豪雨には相変わらず怯えるし、本質はあまり変わっていないはずだ、と思って。
ごめんよ自然、そして生物たち、と思いながらも。
新しくできた公園で楽しそうに遊んでいる甥っ子を見ながら、なんだか泣きそうになったんだよ。
住む街が凡庸になっていくことの幸せに。
【おすすめ記事】