きまやのきまま屋

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カポーティ『誕生日の子どもたち』がよすぎて頭がどうにかなりそうだ。

読書感想文にも書評にもならない駄文を書き散らしていいかしら。

以前書いたこの記事。

【読書】綿矢りささんが王様のブランチに出てましたね! - きまやのきまま屋

 

ここで綿矢さんが紹介していたトルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』を今読んでる。予想通り母親が買っていたので借りてきた。

この記事は4月1日の記事なので短篇集の割りに時間かかってるな、という感じなんだけどどうしてかというと、

なんか一篇一篇がよすぎて続けて読みきらん…!という個人的ジタバタと日々戦っている。うぉぉ、これよかったちょっと休憩…というのを挟み続け、次の日も余韻に浸り続け、手に取らない。そんな数週間。

 

誕生日の子どもたち (文春文庫)

誕生日の子どもたち (文春文庫)

 

 

最初の短編「誕生日の子どもたち」の衝撃たるやすごくて、しばらく一緒に寝てた(例の枕積み)。あの始まりの一行からの展開としてここまで物語が派生していて、しかもこの時系列ってもうなんなのよ、読者を切な殺すつもりかい!(そんな単語はないけれど)と愛憎入り交じってもはや憎い。カポーティが憎い。

もちろん私なぞに憎まれたところでカポーティの良さはびくともしない。

 

で、その衝撃からも立ち直って、読み進めてみた。まさかあのミス・ボビット越えの作品はなかろう、とタカをくくっていた。そしたらミス・スック&バディー&クイーニー出てきた。続けて3作「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」読んでみた。もうほんと何か溢れて出てきそうで耐えられなくなって寝た。今ここ。

 

平仮名だらけの父親への手紙を読んだ時、死ぬかと思った。ひらがな。言えなかった言葉。ミス・スックも素敵すぎた。なんだこれ。

なんかすごい読書体験をしていると思う。そりゃ綿矢さんも朗読したくなるよ。声に出して読みたいほど好きになれる世界だ。

 

なんだろうな、こういう書き方をしているとストーリー展開や人物設定がいいのかなという印象になってしまうんだけど、それもあるんだけど、それ以上に細部の描写がよくてね。学校の悪ガキの描写、感謝祭の描写、知らない街の描写などを経てのこの繊細さだよ。途中でしれーっと母親との確執とか親戚の理不尽さとか書いておいて、どうしてそう持っていけるのかな。いや、だからこそ色々が惹きたってくるのかな。これがもう、息が止まるかと思うくらい。

 

まだ2作あるんだけどもう読まなくてもいいんじゃないかと思うくらい(読むけど)すばらしいよ。カポーティがこんなにいいとは知らなかった。不覚。

そういえば訳は村上春樹なんだけど、ここではもはや関係ない。というか春樹おじさんも自分のキャラを強く出していないというか、自然で繊細なカポーティの世界を尊重している印象の訳になってる(ある意味当たり前のことなんだけど)。

 

これは一家に3冊あるべきだ、と思った。返さなきゃいけないので買うよ。

興奮冷めやらぬ。こんなの読めるのが読書体験のよい点だけど、いくつもあったら心臓も頭も保たないと思う。

「よい」以上に掲揚する表現を思いつかない上に褒めすぎてハードル上がったかもしれないんだけど、ぜひぜひみんなにおすすめしたい。

 

誕生日の子どもたち (文春文庫)

誕生日の子どもたち (文春文庫)

 

 

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