きまやのきまま屋

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旅をするのは少しだけ死ぬことだと思ったんだよ

ご飯食べてたらカッコいいセリフが思い浮かんだ

「旅をするのは、少しだけ死ぬことだ」と、ある日、思った。

家族で食卓を囲みながら、ふと。いきなりなかなかのハードボイルドが来た。

 

それはもしかしたら、少し前に読んだ松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』からの影響なのか。

 

「生きていることが辛いなら、いっそ、小さく死ねばいい」とゆるく励ましてくれたあの歌からの連想なのか。

 

「さよならだけが人生だ」と言い切った井伏鱒二、ひいては寺山修司の言葉からなのか。

 

分からないけれど、私にとって、旅は別れなんだと思った。

おばあちゃんが作った梅干しを白米に乗せて海苔で巻いて食べながら思った。酸っぱかった。

 

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自分を変えるために 

人が自分を変えたいなら

  1. 付き合う人を変える
  2. 時間の使い方を変える
  3. 住む場所を変える

のどれかをするといい、という言説がある。

 

この、3は引っ越しのことだよね。引っ越しで、ある意味今までをリセットできるという確かな効能。私これ、ちょうど最近したばかりで。

 

近いものが、旅にはあると思う。単に肉体の移動というだけの共通点ではなくて。

 

旅ってなんだろう? 

出かけて行って、その場所を味わって、記憶に焼き付けて何かを思い、去る。

それは出会いであって別れだ。初めましてこんにちは、で始まって、さようならで終わること。セットになっていて。

 

レイモンド・チャンドラーは代表作『ロング・グッドバイ』で、「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」と書いている。

 

旅は、こんにちはであって、さよならだ。だから私は、旅をすると、いつもきっと少しだけ死んできたんだと思う。だからあまり、旅が好き!というほどではない。

 

 

でも、昔私がウツでどうしようもなくて家を出られないで起きられもしないで泣いて暮らしていた時に、友達が家まで会いに来てくれて「死ぬとか言うなら…死ぬならその前にニューヨークに行け!!!」って叫んだことがある。

 

私はそれを聞いて「ニューヨーク興味ないし怖そうだから嫌だよ…」って思って、次に、「…どこかに行くなら、またイギリスに行きたい」と思った。

 

学生時代に親についていって数週間だけ滞在したイギリスは、ブランキーの歌詞に出てくるピカデリーサーカスがキラキラしていて、オアシスがいる街で、ビートルズが歩いたアビーロードがあって、ホームズが住んでいたとされるアパートがあって、P.D.ジェームスが女探偵コーデリアに訪問させた大学が広くて、緑がたくさんで、ハロッズのテディベアが可愛くてフロアには何もかもがあって、何もない石畳みの道端でもカッコよかった。

イギリスの景色と音は、とてもカッコよかった。

 

そんなことを懐かしく思い出していたら、もうそんなに、死にたいと思わなくなれた。

死ぬくらいなら旅に出たらいいんだから。

 

私にはまだ、行ったことがない街がたくさんあって。そこにはきっと私が知らない情景が広がっていて。美味しいものや綺麗な景色や知らない道がたくさんある。

それが希望でなくて、なんだというんだろう?

 

旅が与えてくれるもの 

私は旅をして、死にたいとは思わないでいられて、でも少しずつ死んでいくのかもしれない。

だって、さよならばかりなんだし。

 

けれどそれは、嫌な死に方ではない。そして、死んでいくだけではない、という予感がする。

旅が与えてくれるのは、きっと再生する死だ。火に飛び込んで自ら体を焼き、若返って生まれ変わる火の鳥のような死だ。

 

ところで寺山修司は、旅について

こうやっていつも旅ばかりしていると、ときどき思うんだ。人生は汽車に似ているな、ってね。

旅をしながら年老って古くなってゆく。自由になりたいな、って思うが、レールの外へ出れる訳じゃない。

という言葉を残している。

 

人生は汽車に似ていて、移動しながら年を取る。けれどレールから外れることはできない、と彼は言う。

 

それは、正しいだろうか?

今のこの時代、きちんとしたレールなんて半ば崩壊してしまっている時代で、それでも移動し続けることは、ただ年を取って古くなっていくこととは違うのでは?

 

自由になりたいと思ったら、なれるのでは?

 

私の好きなバンドThe pillowsの『ストレンジカメレオン』という歌に、象徴的な歌詞がある。

勘違いしないでね  別に悲しくはないのさ。抱き合わせなんだろう、孤独と自由はいつも 

 

と、ボーカルのさわおさんは柔らかく歌う。

 

それにずっと救われて来た。

自由さえ諦めれば、孤独に囚われないですむんだと思ってた。

自由じゃなければ、ひとりぼっちにはならないんだ、と。

束縛は、愛だと。

 

 

けれどそれは裏返せば、孤独を引き受ければ自由になれる、ということ。

ねぇ、だって、束縛は。

そんなに愛ではなかったでしょう? 

 

自由になれれば、汽車じゃなくて人間の人生であれば、レールを外れて何処にでも行ける。

孤独を携えて!

 

出かければそこが旅先 

行ったところは、すべてが旅先。そして孤独を抱えた私は、そこで少しだけ死ぬ。何かにお別れを言いながら。けれどそれは短いお別れ。

 

そんな旅をしてみたいと思った。

孤独と自由を両手に持って旅をして、少しずつ死んでいき、さよならを言いながら、再生を願う。生まれ変わりながら生きていく、いつか当たり前のように死んでいく。

そんな旅を。

 

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

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