引き続き植本一子さんを読んでいる。今は『降伏の記録』まで。続きの一冊配送待ち、もう一冊は持って。
そして引き続き私も日記を書く。
前回は引っ張られて家族のことばかり書いたけど、書こうと思っていたことの半分も書けなかった。
自分が書けなかったというより、そこまでの前提を作れなかったという感触。日記を書き続けることは、飛び込み台を意識し続けることなんだと思った。ある日飛び込みたくなった時に、台の場所確認から始めると、時間切れになってしまって飛び込めない。
そもそも私は元気がなくなると文章を書かなくなる。無理に書こうとすると病むのでそれでいいんだと18歳の時に決めた。
2020年は半年くらい、noteに書いていた。これは自分でもとても好きで、続ければよかったんだけど2021年はだいたいイジケていたので続けられなかった。
今振り返っても、2021年の自分のイジケっぷりがひどい。ブログ書いてない。いや、資格試験の勉強をしていたんです、うん。
あと、なんか変なことに巻き込まれた。コミュニケーションについて大きく考えを変えてしまうことだったと思う。私の中では、年末くらいまで地味に続いた。
人の悪口を聴くのは嫌いで、自分は言うのだけど「これは悪口なんですけど」構文を活用します、せめて。そして「まあ同族嫌悪みたいなものです」で締める。
あと、友達が猫を保護した。私は何もしていないのだけど話を聞いていた。3匹の譲渡に成功。神だ。しかし個人で続けるの大変なので考え直してほしい…と思っていたら打ち止めになったようなので年末に寿いだ。
2021年に時間を費やしたのは、それくらいか。あと資格試験ね。
10月からの私の頑張りを知っている数人は、あれ、あのね、だめだったので…今度お話しようよ。
もう2022年も5月なのに昨年の振り返りをしてしまった、できてよかった。
日記文学が盛り上がっている、という話をどこかで読んだことがあると思う。日記本の専門店があるとか。
植本一子さんの『かなわない』シリーズも、そのブームに一役買ったんだろうか。私は『人生の土台となる読書』から入りました。
個人的には、
がとても好き。往復書簡であり、初期コロナ禍日記でもある。
同じ観点で
もとても好き。みんなでおいしいもののはなしをしようよ。
文章を書く人の日記が好きなんだと思う(牟田さんの「校正者の日記」とかいうの本当にもう手に入らないんですか…?)
そりゃブームにもなるよね、と思う。だって書いて置いておくことでしか、書いた時の雰囲気をつなぎとめておくことができない。コロナ禍なんて書くしかないだろ。
それでも、正直に書くことは難しい、かっこつけたりごまかしたり、嫌なふうに読まれたり、嫌いな人にも読まれたりする、それでも書いて置いておくことには、なによりも自分にとって価値がある。
紙の日記は読み返さないので…手帳には主に予定ばかり書いていて、それはそれでよく読み返す。そしていろいろなことがわかる。
自分がどうやって、何を思って、どういう雰囲気で生きていたのかを記録しておくと後に自分が捗る(と思う)
本当は「これからこうしたい」みたいなことを言語化しておくといい、と占いで言われたんだけどあまり信じていないしうまく書けないな。そんなのどうでもいいか。
ほんとは書くことなんてそんなにはなくて、考えることしかできない。足元の小さなスピーカーからは大好きな音楽が鳴っている、最初から最後までずっと。
【前回の日記】