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三島由紀夫『仮面の告白』読書感想文みたいなもの

久しぶりに読んだらやっぱり面白かったので、今回は『仮面の告白』について。

たぶんに変態ちっくな内容を含んでいます。引き返すなら今です。それでいて純愛でもあります。

 

新装版の文庫はこちら ↓ です!(2020年刊行)

まず登場人物をざっくり紹介してから、各章ごとのあらすじをまとめてみます。そして読みどころ、引っ掛かりポイントなど。もっと細かいことはwikiを見ると分かりますね。あくまでざっくりいきます。

仮面の告白 - Wikipedia

三島由紀夫『仮面の告白』新潮文庫新装版

三章からが読み応えあり!です。

登場人物たち

私…主人公、男性、三島由紀夫がモデルとされている。家族から「公ちゃん(きみちゃん)」と呼ばれることがある。

幼少期から、自分の特殊な性的嗜好に煩悶している。作中で物心ついてから、23歳にまで成長。

 

近江(おうみ)…中学二年の時の同級生、男性。粗野で不良っぽい。数回落第しているため、年齢は主人公より上。最初に惹かれた相手で、主人公が知性よりも無智と粗暴さに惹かれる原因になったと考えられている。

 

園子…友人の妹。ピアノを弾く。主人公の二歳下くらい。小さい妹の面倒をよく見る、化粧っけのない無邪気な女の子。仲良くなるにつれ、主人公と結婚したいと思うようになる。

 

家族たち…祖母、父、母、妹。過干渉で、年の離れた恋人のような祖母、こちらの意見をきかない父、的外れな心配をする母、明るい心根だが若くして死んでしまう妹。

あらすじ 第一章

生まれた時の記憶があると言い張り、祖母に発言をとがめられる幼少期。この出だしは有名なところ。

永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。

(P5)

 

生まれて四十九日で父母から引き離され、祖母に育てられる。かなり過保護な祖母やお手伝いさん達に可愛がられて育つ。

自家中毒をわずらい、ひ弱キャラになる。

 

性的なものへの憧憬が早めに起こるが、女性ではなく同性である男性に向かう。また、状況的に肉感的なもの、知性よりも肉体的なものに強く惹かれる。

彼は地下足袋を穿き、紺の股引を穿いていた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。(P11)(太線部…本文では傍点部)

兵士たちの汗の匂い、あの潮風のような・黄金に炒られた海岸の空気のような匂い、あの匂いが私の鼻孔をうち、私を酔わせた。(P17)

 

また、豪奢な死に様や、人が出血する様子、拘束されている様子などに執着する。

執拗に、「殺される王子」の幻影は私を追った。(P24)

 

単純ではない欲望を抱えているため、「一人の男の子として演技を要求されている」という感覚を強く持つにいたる。

 

一章は、説明が多くてとっつきにくい印象があります。文章がきれいなことは分かるんだけど。。。祖母の神経質さによって閉じられていく狭い世界で、鬱屈する幼少期。本人も悲劇性に惹かれていくし、暗いというか沈鬱というか….。それでいて装飾好きな自我を持て余したり、うまくいかないものです。

 

同性愛を赤裸々に描いた、しかも自伝的に、ということで発表時には話題になったようです。(素直に三島由紀夫の自伝として受け取ることもできますが、三島自身が同性愛者であったかどうかは諸説あるようです)

あらすじ 第二章

十三歳で祖母と別居し、家族と暮らすことになる。初等科から中学校に進級し、近江に出会う。

それは、そういう粗雑な言い方が許されるとすれば、私にとって生れてはじめての恋だった。しかもそれは明白に、肉の欲望にきずなをつないだ恋だった。(P59)

近江に感化されファッションを変えたり、じゃれあってときめいたり、近江を見つめ続けたりする。近江の腋毛が多いのを見て、自分を恥じたり嫉妬したりする。

 

また一方で「強くならねばならぬ」という強迫観念に侵される。なに、このややこしさ!三島が難解だと言われる所以ですね。憧れてマネする、だけではなく、愛する肉体を憎む話が早い、長い。近江になりたいほど近江が好きで、私ではいたくなくて、でも弱っちいから近江になれなくて恥じ、近江を憎く思ってしまう。

 

秋になると近江は放校され、いなくなる。

 

中学四年になった私は貧血症にかかる。貧血の作用で、血液への欲求がより強くなる。

クラスメイトをひどい目に合わせる空想で自慰を行う一方で、同世代のクラスメイトたちとの話の合わなさに、自分の異端さを痛感する。

私は人生から出発の催促をうけているのであった。私の人生から? たとい万一私のそれではなかろうとも、私は出発し、重い足を前へ運ばなければならない時期が来ていた。(P94)(太線部…本文では傍点部)

 

ここまでのまとめ

一章と二章で語られていたのは、「自らの異端性」に尽きると私は感じます。

そしてこれが多分、三島由紀夫を特徴づける点でもあると思うのです。

 

分かりやすい異端として「同性愛」が語られているけれど、決してそれだけではなく、人生への冷めた態度や、肉欲に引きずられる思考とそれを周囲に気取られまいとするゆえ現れる冷淡さ、周囲に馴染めないことへの劣等感、異端ではないものへの憧れからくる度を越したロマンチシズム、それを隠そうとする空虚な陽気さ。

「この世界への馴染めなさ」

 

これらのどれかに引っ掛かりを覚える人が多いからこそ、ここまで読み継がれているのだと思います。

「人生への冷めた態度」なんて、クールですよね。共感してしまう人もいそう。それでいて無邪気なんですよ。本文では「楽観主義」とされています。

 

さて、続き。

あらすじ 第三章

十五、六歳になっても性的嗜好は変わらないが、人生に出発するための資料として「女」のことを考える。小説を読んだり、今まで関わった女性について思いをめぐらせたりする。

 

戦争が始まる。大学に進学する。二十歳前後になった?

きっと戦争によって早死にするという思想から、感傷的かつ身軽な気分で生き始める。(もともと病弱なため、自分が早死にするという確信が強い)

友人の草野と親しくなって家に遊びに行って、その妹の園子と出会う。個人的には、ここからが話のメインと思ったりします。

園子との出会いと別れ

友人・草野の家の居間でくつろいでいたら、拙いピアノが聴こえてきてほっこりする。十八歳の妹・園子らしい。園子がお茶を出してくれた時に、足がほっそりしているのを見てさっぱりした好感を持つ。

 

二十一歳になる。草野が入隊したので、面会に行く家族に友人として着いていくことに。駅で家族と待ち合わせていたら、十九歳になった園子だけが走ってきて、その様子に感銘を受ける。

私は私のほうに駈けてくるこの朝の訪れのようなものを見た。少年時代から無理やりにえがいてきた肉の属性としての女ではなかった。

(P132)

 

…年の近い女性のことを「朝の訪れ」だと認識したのなら、それは恋なのでは?と思いますが、そう簡単ではないところが主人公の悩ましいところ。

一瞬毎に私へ近づいてくる園子を見ていたとき、居たたまれない悲しみに私は襲われた。かつてない感情だった。(中略)悔恨だと私に認識された。

(P133)

なぜか悔恨を感じるんですよ…。恋心ではなく…。

 

それでも主人公にとっては、無理やりではなく好感を抱いた初めての女性。ていうかこれが好感でないなら、恋とはただの肉欲ではないか!「これで僕にも異性愛がわかるのでは?ひいては『普通の人生』が歩めるのでは?」という思いを強くして、園子とどんどん仲良くなります。

彼は長兄の友人なので、家族ぐるみで応援されます。園子もかなり乗り気!

 

本を貸し借りし、遠距離になってからは手紙をやり取りします。写真も交換する。園子からは「お慕いしております」とはっきり書かれる。疎開先に会いに行き、家族とも仲良くして、「お付き合いしている」っぽい流れができあがります。

 

それで、主人公は自分の幸福や欲望のきっかけを探そうと、暗黙の同意を得た上で園子と接吻するのですが…。

私は刻々に期待をかけていた。接吻の中に私の正常さが、私の偽りのない愛が出現するかもしれない。機械は驀進していた。誰もそれを止めることはできない。

私は彼女の唇を唇で覆った。一秒経った。何の快感もない。二秒経った。同じである。三秒経った。――私には凡てがわかった。(P182)

という結末になります。何の感銘も受けなかったし、何も変化しなかった。しあわせではなかった。冷めていた。

 

そこからは逃げの一手。園子は接吻したことですっかり恋人気分になり、当たり前のように「次はプロポーズだ!」と思っているっぽい。それをのらりくらりとかわして家に帰ると、友人で園子の兄である草野から手紙がきます。

 

ここのところは実際に読んでいただきたいポイントなんだけど、草野の文章と彼の気分が、主人公を勇気づけてしまうんですよね。

結婚を無理強いするわけじゃないよ、本当に妹のことが好きなのか教えておくれ、という友情に根差した真摯な言葉を受けて、

素晴らしいことであった。愛しもせずに一人の女を誘惑して、むこうに愛がもえはじめると捨ててかえりみない男に私はなったのだ。

(P197)

と、唐突なキャラ変!

 

なんらかの型にハマりたくて仕方がない、異端者の自覚が強すぎる主人公の悲しさを感じます。

 

という感じでぬるっと園子と別れる(手紙に婉曲な断りの返事を書いただけで、二度と会いに行かずに終わり…)、そして終戦を迎えたところで三章は終わりです。

いやぁ、盛り上がったね!

 

なんらかの型にハマらなければ世界に溶け込むことができない、と考えることで、何がしたいのかが分からなくなる。それは時代のせいというわけではなく、男性ゆえのプレッシャーというだけでもなく、

寂しさからくるものかもしれない、と私は考えます。

人と同じである、連帯しているということは、心強いことですからね。

 

自分は人とは異質である、その寂しさを埋めたくて懊悩し、思ってもみなかったことをしてしまい、でもそれに希望を持ってしまい、でも結局は駄目で…寂しさに戻る。

文学ですね。

あらすじ 第四章

戦争が終わる。妹が死ぬ。園子が見合いで結婚したと聞く。一年ほど遊んで暮らす。学友と遊郭に行くが不能であった。

主婦になった園子と再会する。そして二人きりで会うようになる。

 

しかしもちろん、主人公は特に何がしたいというわけでもなくてただ「会いたい」だけなんですよ…ややこしいね…。

三ヶ月に一度くらい昼間に一時間くらい会う、という関係のまま一年がたち、主人公は就職します。お喋りをするだけとはいえ、人妻と会い続けるという行為に背徳の喜びを得る。こういうの、他の三島作品にも出てきますね。

 

何もないとはいえ、園子は煩悶します。この人、私と結婚するのは断ったくせに今になって会いたがるの何なの?とは思いますよね。あれ、私この人のこと好きだったし、他の人と結婚したの早まったかな?って思いますよね。

「今のままで行ったらどうなるとお思いになる?何かぬきさしならないところへ追いこまれるとお思いにならない?」

(P229)

人妻らしい悩み方をする園子。しかしその時でも主人公が見ているのは、通りすがりの粗野な半裸の青年だったりして。どこまでも分かり合えない二人と、それでも会うことをやめられないほど互いの間に流れている何らかの感情と、夏の光で物語は終わります。

 

読むなら、新しい文庫が読みやすいです

こちら、新装版なのでトリプル解説になっています。特に、中村文則の解説が現代の人には読みやすいと思います。ありがとう新装版!

 

【参考文献】

この記事を書くにあたって、拝読しました。→「作者」という仮面:三島由紀夫『仮面の告白』論 稲田大貴著 

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/19423/3_inada.pdf

 

【その他の読書感想文】

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