きまやのきまま屋

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春の身辺雑記2023

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いいな!と思ったことに飛びつく生き方っていいなぁ、と思ってはいるものの、いかんせん腰が重い。

性格的なものはあると思うけど、友達を見ていても性格の半分くらいは経験によって形作られたものだ、とも思う。

 

今期は楽しく『ブラッシュアップ・ライフ』を観ていたこともあって、

…とは言えやり直しが効かない面があるのがリアル人生なんですよ…

という気持ちを新たにしている。

 

なんせ、人の行動には2種類がある。てきとうそうな言説だが何種類かはあるだろう。たとえば、自我から立ち上がるアクションと、他者から与えられた事柄に対するリアクション。

それらが大きく矛盾していた場合には盛大にぶつかり合って混乱し、焼け野原みたいになるんですよ。

精神が。

 

そして精神が焼け野原と化した後に、何を復元するのか?

「どうするのか?」ではない、だって破壊されているから、行動に移れない。手足がない、脳が動かない、自分が破壊されているから。

だから自分としての「何を」復元するのか?になる。

 

ここで「何を」に立ち返ってしまうことが、どれだけ本来からの自我を損なっているだろうか。なぜそこで、自我の本質を問われる経験をしないといけないのか。(だいぶ損失は大きいよ!)

更に「どうするのか」は止めどなく他人からの干渉と評価に晒されてしまう。笑って許すことを求められたり、そんなのささいなことだと決めつけられたり、関係ない人から謝られたりする。

あなたは関係ない、必要とされたいためだけに口を挟んで何かを為した気になるな。「僕 / 私 だったら〜」なんて仮定で遊ぶな。あたしの人生を勝手にあなたに置き換えるな。

 

 

さて、話は転換せずに続きますが、脈絡は自分にしかわからない。

昨年末くらいから、この人生で取りこぼしたことをこれから拾い集めて生きようかと思い始めた。

忘れることはできないから。拾いに戻らなきゃ。

 

そういう思考と、多分いくつかのきっかけ…どこにも行けない夏にこのブログに『仮面の告白』のことを書いたこともそうだし、何もする気にならない冬に寝転がって聴いたオンライン配信で知った著名人の存在もそう、

思考と新しい体験がゆるゆると一緒に流れて、部屋には音楽を流して、今年は何をしようかなぁと考えていた、春。

 

本当は、なにもなかったことにしたかった。

必要以上に凹んでなんかいないことにしたかった。

 

…できない…

というのが今の結論です。

(※私はDVを受けていた経験があります。読者のみなさんはぜひ、他人を殴らない殴られないライフをお送りください)

 

まあ、それはそうと、

落としたものがあるのなら、拾えるものを拾いに戻ればいいんだよ。

 

 

問題は切り分けて考えなければならない。

 

さあ、20年かけたものを5年で断ち切ったぞ、このまま少しずつ進め私。

 

つまり、大学に行ってもう少し文化文芸のことを学ぼうと思ったんです。

四月から大学生になります。学割とか使うぞ。

詳しく言うと放送大学。フォロワーさんもめっちゃやってるでしょ。私の場合テーマがないから学部に入るしかないし、修士が取れるかは分かりません、そこまで進むかも分かりません。実は、研究テーマもなくしてしまったので…(これは私のキャリア設計が甘いせい)

 

でも野崎歓とか沼野充義とか斎藤真理子とか!海外文学のすごい人たちの話が聞けるし、滝浦真人が最近おもしろいし、課金しなくてもテレビ見るだけとかできるけど、課金してみたくなったの。

単に申し込んだときに躁だっただけかもしれないけど、テキスト既に面白い。

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祈念として私信です。春になるときみのことを思い出すよ。3月だったね。最近はサンデイメイクラブをよく聴いているよ。

ピープルの新譜が流れるあの春に戻りたいね、

あのとき水色のシーツが日の光に輝いて、きみの目はみどり色の宝石のようだった。あの、日向の、窓の

しずかな

言葉のないところ

撫でるとあたたかい

天使を

シャングリラ、どうか、悲しみのない世界へ

シャングリラ、きっと、あなたの手を引いて

行こう

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