「きまやちゃんは、シロツメクサみたいな人だね」 と言われたことがある。大学進学を控えた春休みに、友達から。
私たちはスピッツの『冷たい頬』を聴いていた。
詳細はボカすけど、そう言った彼女は苦労人で、高校生の頃から悩みが絶えなかった。だいたいのことは彼女のせいではなかった。
控えめな性格をしていて断るのが下手で、静かな笑い方をする子だった。
大学が離れてからも連絡を取り合い、もう1人の女の子を加えて3人で会って、話したり泊まりに出かけたりしていた。教室で集まってお弁当を食べていた3人。
Kiroroの『3人の写真』を代わりばんこにカラオケで歌った。
時は過ぎて、3人のうち1人は大学を辞め、1人は学部を変えてゼミに入り直し、1人は就職した。
就職したのが私、私のことをシロツメクサみたいだと言ったAちゃんはバイトを始めたり辞めたり、大学での専攻を変えたBちゃんは教育関係の道へ進んだ。
Bちゃんは数年後、色々と詳しくなったこともあり、Aちゃんの状態の変化に気がついて問い詰めたらしい。ある日、Bちゃんから涙声で電話がかかってきて「Aちゃんは、病気を発症している」と知らされた。病名は伏せる。 治らないやつだ、とBちゃんは泣いた。心の、心の? 脳の、なんだろう。治らないやつ。
その問い詰めが良くなかったのかBちゃんの着実なキャリアに遠慮したのか、Aちゃんは、就職といってもフリーターに毛が生えた程度の契約社員だった私にしか連絡をしなくなった。
いや、Bちゃんがやっぱり泣きながら「もう私はAちゃんからの電話には出ない」と言ったのが先だったかもしれない。あれは友達に話すことじゃない、主治医に話すべきことだから、と。時間を取られすぎて生活に支障が出始めたから、と。
Aちゃんは私が転職すると、午前中から「死にたい」とメールをしてくるようになった。慣れない職場のトイレにこもって昼休み中電話をしていた。
あたしはあなたが死んだらとてもさみしい、と言った。
ビルの小さな窓からの眺めがとても美しかった。
数年して私が結婚すると、Aちゃんは家の電話にかけてくるようになった。話題は、数年前から続いている不倫の愚痴と、親に勧められたという入院先であった嫌なこと。
「さすがにもう不倫の話きついよ」と私は言った。Bちゃんの話題は出なかった。Bちゃんはちゃんとやってるから、電話に出ないから。
私もちゃんとしたかった。新しい職場でも新しい土地でも、いつでもどこでも、体力がなくても性格が偏屈でも、自分なりにちゃんとしたかった。ちゃんとすることを、友達に応援してほしかった。
入院の話はよかった、でも不倫の話は嫌だった。私は心が狭い。相手の男の人は、聞いた感じあまり良い人そうではなかった。だから。
それからしばらく電話はかかってこなかった。
数年ぶりにAちゃんから電話がかかってきた時に、着信画面を見ながら私は、Bちゃんのことを思い出した。私は、電話に出なかった。
私が電話に出なくても、メールは続いていた。不倫はやめたこと、彼氏がほしいけどいないこと、親とうまくいかないけど家を出られないこと。10代で知り合った私たちは30歳を過ぎていた。
何も打つ手がないし主治医が嫌い、と怒るAちゃんからのメールは、次第に返信が難しくなってきた。ネットで見つけた猫の画像を共有したりして、Aちゃんの話を遮ることが続いた。しばらくするとそれも途絶えた。
また数年たち、ある時久しぶりに唐突に、年賀状を書きたいから住所教えて!とメールが来た。住所を書いた返信を送った。
年賀状は来なかった。代わりに、長い手紙が来た。 手紙には、「不倫相手とは別れたって言ったけど別れてなかった。でも今回本当に別れた。嘘をついて悪かったけど、今こうやって正直に話しているんだから私の全てを受け入れてほしい」と書いてあった。 私は、Aちゃんからの電話とメールを着信拒否した。
「死にたい」と言われるよりも重いことってあるんだな、と思った。
あれから何年になるんだろう、去年Bちゃんから「結婚することになった」とメールが来た。「こっちは離婚するんだけど(笑)、お互い新しい門出だね!」と祝いあった。Aちゃんの話は出なかった。
シロツメクサを見るたびに思う。友達ってなんだろう。
人はどこまで負荷に耐えられるのだろう、人生に用意されている負荷は全体でどれくらいだろう、それは人によってどれほど違うのだろう、負荷の連鎖はなぜ起こるのだろう、医療が人の心にできることって何だろう。
AちゃんもBちゃんも私も、何かをどのようにか、間違えてしまったのか。それとも誰も何も間違えていなかったのか。やっぱりBちゃんだけが正しかったのか。
友達って、なんだろう。
私のどこが、シロツメクサみたいだったんだろう。
※この記事は、以前にnoteで公開していたものと同じです。
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