きまやのきまま屋

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イアン・マキューアン『贖罪』が好きだ。

人と話しているときに、昔の話になって、アドバイスなんかしてもらってて、「そんなんで、よく◯◯したね」と言われ、言葉に詰まることがあった。やり終わったことについて、そんなこと言われても…って感じじゃない?それを言った人も優しい人なんだけども、絶句ポイントだったんだ。

 

だって、私が反省するべきなのはそこからなのか、と暗澹たる気分になるでしょう? いや、それ、私が25の時の選択なんだけど??? そっか、そこからかぁ…。

 

今より若い日はない、という言説があるじゃないか。あれは真だよね。論理が通ってるよ。

細胞は脳はどんどん加齢して不可逆。だからいつだって今が一番若い。

イアン・マキューアン『贖罪』

贖罪 (新潮文庫)

贖罪 (新潮文庫)

 

イアン・マキューアンの『贖罪』という長編小説がとても好き。ちょっと前まで上下巻だったのに、一冊にまとまってファン歓喜なの。

 

なんで好きなのかっていうと噴水のシーンも図書室のシーンも緊迫感があってクールなのにそこから怒涛の展開で、何も分かっていない少女が少し勘違いしただけなのに、もう一切何も取り戻せないところ。

 

タイミングが悪いし前提が悪いし時代が悪い。たとえそこに本物があっても、無理解による無邪気な正義感は、本物を認識できなかった。

だから全部バラバラになった。

 

その少女は成長して、自分のやったことを後悔するし、罪の大きさに慄く。 でももうどうしようもないし、うまくやるやつはうまくやってる。ほんの数人だけが割りを食って、時代に翻弄されたりして、死んでしまう。

少女は長生きする。少女だけが。多くのひ孫に囲まれるほどに。あの取り戻せなさ、すごい。

 

ねぇ、贖罪って、なんなんだろう。 辞書を引いてみるよ。

しょくざい【贖罪】 犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。特にキリスト教で、キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為。

まず罪があって、犠牲を捧げてそれをあがなう、それが贖罪。キリストだったら死んじゃうレベル。

 

でも『贖罪』では……。何もあがなえていないように読める。取り返しはつかなかった。後悔しても仕事をしても慰めようとしても償えなかった。そこまできちんと書いてある。

現実はどうにもならなかった。

 

ねぇ、私のその、だいぶ前に間違った選択はどうなんだろう。

罪を、あがなうことができるかどうか?

 

ていうか、私の選択は、罪だったの???

私は間違えたんだな、としんみり思っている。いつだってしんなりしているよ。けれどもそれが罪か?となると、首を傾げてしまう。

 

私は私なりにやっていたよ。あの時考えて選んだことだ。考えて選んだことに後悔はない。 もしそれが人を傷つけていたなら、申し訳ないと思う、の、だが。

 

傷なら他にもたくさんある。たくさんあるでしょう。どこにでもあるでしょう。

間違ったことは罪なんだろうか、罰があるんだろうか。あがなうこともできずにベルトコンベアで運ばれてくる私の罰。償いたいのであれば、と、何らかの犠牲を迫ってくる。

それが個人の尊厳に関わることでも容赦なく。待って、尊厳だいじなのに。

 

私は、私の思ったことだけを覚えている。人のことは、分からない。

期待することをやめられなかったし、どうにかあの場所でやっていこうと思っていた。思っていたんだよ。罪があったというなら、この期待そのものだ。

 

しかしこれだって、ただ間違えただけでしょう?

 

私は、私が選択し続けてきたことでできている。もし間違った選択があったのだとしたら?犠牲を捧げてあがなう、それが贖罪ということだ。

 

……やってらんないな!

 

おしまい。さあ、みんなで『贖罪』でも読もうよ。

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『贖罪』

信じられないほどひどいことが起きたとき。あるいは夜に、セシーリアがブライオニーを悪夢から救い出し、自分のベッドに入れてくれるとき。あの言葉をセシーリアは使ったのだった。戻っていらっしゃい。ただの悪い夢よ。ブライオニー、戻っていらっしゃい。この自然な家族愛が、なんと簡単に忘れられたものだろう。

(p583)

 

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